100名城 52番 観音寺城
観音寺城 どんなお城?!
観音寺城は、別名、佐々木城ともいわれ、100名城の1つになっている
佐々木六角氏(鎌倉時代より近江守護として支配)が、居住していた
石垣の本格的な導入は安土城以後のことであるが、この観音寺城では、1530~1550年ごろには、石垣を多用していたらしい
安土山(安土城)とは尾根続きの、標高 432mの繖山(きぬがさやま(観音寺山))に大小無数の郭(くるわ)が残り、全国最大規模の山城と言われ中世五大山城の一つに数えらる
1568年に織田信長に攻撃され、 六角承禎・義治親子は戦うことなく逃亡し、あっ けなく開城、その後、1579年に安土城が 完成したことで、観音寺城は歴史的役割を終えた
住所(観音正寺): 〒521-1331 滋賀県近江八幡市安土町石寺2
電話番号(観音正寺): 0748-46-2549
観音正寺の詳しい情報・駐車場などの情報
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観音寺城の昔の地図(縄張り図)を見て歩こう!!
滋賀県教育委員会 埋蔵文化財活用ブックレット11 (近江の城郭6)より 私の落書きあり
いよいよ観音寺城へ登城
観音正寺でお参りをして、いよいよ縄張り図を確認しながら歩いてみる
観音正寺の釈迦如来坐像の後ろからスタートする
<正面>
<後ろに観音寺城に向かう階段がある>
観音正寺から本丸へ
大石段を上る、おかわり君(長男)
観音正寺から310m 思ったより直ぐに到着した
本丸の他にも、いたるところに沢山の石垣が残されている
平井丸
平井定武の娘は、浅井長政の正室であったが離別された
その後、浅井長政は織田信長の妹、お市を後妻として迎え入れた
落合丸
落合氏屋敷跡だけ、なぜか縄張り図に載っていない
池田丸
女郎岩と大石垣
女郎岩は身長の倍以上ぐらいある、大きな岩だった
大石垣は景色も最高だった
佐々木城址 石碑
再び観音正寺を出て、立て札の通り上がった
石碑から見る景色も最高だった!!
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六角定頼像 NEWスポット 発見☆
観音寺城から車で5分ぐらいのところにある安土城に向かう途中、六角定頼の像を発見!車をUターンさせて確認した!!
ただ、トンネル入り口にあるので、長ーいトンネルを通り切ってからのUターンになり、Uターンに苦労した
トンネル入り口付近にあるので、トンネルが近づきだしたら、左側にそれらしきものが無いか見逃さないように
六角定頼とは、六角家14代目当主で、観音寺城城主、六角家の最盛期を築いた
六角定頼像
まとめ
石垣がいたるところにあり、郭もたくさんあって、景色も良いので、お城好きな方はもちろん!山登り好き、お寺好き、探検好きの方も楽しめます
今回は、縄張り図の左側だけ回りました、7時前について12時過ぎぐらいに安土城に向かったので、半分で半日かかりました
縄張り図全てを回るには、朝一番から一日かかると思います
なるべく早くお出かけして満喫しましょう♪
結構、足元が悪いところが多く危険なところもあるので、登城する際は歩きやすく滑りにくい靴を履いて、荷物は手荷物タイプよりリュックでお出かけ下さい
今回のルートはこちら☝
朝7時前から夕方5時過ぎごろまでで、回りました
下記ルートをクリックすると、各地の詳しい記事が見れます
繖山(きぬがさやま)観音正寺→観音寺城→安土城→セミナリヨ史跡公園→沙沙貴神社→金勝山・浄厳院
読んで見て、行ってみたくなった!楽しかった!って、思われた方がいらっしゃったら幸いです
最後まで、お付き合い下さりありがとうございました☆^ヽ(*^-゚)vThank you♪v(゚∇^*)/^☆
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