「旅行記」カテゴリーアーカイブ

旅先での史跡巡りや、城、お寺、神社、博物館、体験などを記録します

織田信長とセミナリヨ それと旧・伊庭家(いばけ)住宅 滋賀県

織田信長とセミナリヨ

セミナリヨ跡って、なあに?

天正8年(1580年)に織田信長より、イエズス会のオルガンチーノ神父が土地を下附され、高山右近、他の信者より援助を受け、セミナリヨを建設・開校した

セミナリヨには、織田信長が特別に許可し、安土城と同じ水色の屋根が葺かれ、豪壮な建物だったセミナリヨには、連日多数の貴人が訪れていた

織田信長も、しばしばセミナリヨを訪れ、オルガンの音色に聞きとれていたそうだ

しかし、本能寺の変の後、セミナリヨも明智軍の侵略により、廃墟となってしまった

その後、セミナリヨは、京都から、高槻、大阪へ、さらに、1587年の豊臣秀吉の禁教令の時には、肥前国(長崎県)のセミナリヨに合併されたが、1614年に遂に、徳川の大追放令により廃校となり、その歴史の幕を閉じた

現在は、その一部がセミナリヨ史跡公園となっている

駐車場:無料有 5台

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セミナリヨでの生活

朝5時から夜8時まで、拘束されて大変そうだ

私には、そんな生活は無理だ(^^;

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三木パウロの記念碑

このセミナリヨで育成された、阿波の士族三木半太夫の子、三木パウロが布教活動を献身的に行い、世界の人々から敬われていたが、キリシタン弾圧により、長崎で殉職

写真は、三木パウロの遺骨を、この地に迎えた記念碑である

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セミナリヨの由来

セミナリヨの由来が書かれている

本ページ冒頭に、簡潔にまとめている

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旧・伊庭家住宅 近江八幡市指定文化財

旧・伊庭家住宅って、なあに?

大正2年、建築家ヴォーリズ氏の設計による、洋風の木造住宅

外観は、煙突があり、玄関は和風、その他の部分は洋風になっている

内部は、1階は和風で、畳敷きの座敷や、書院造、縁側などがある

2階は、洋風であるが、建具や天井には和風を取り入れている

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現在、お住まいになられているのに、拝見させていただいて、大変感謝しています

そぉーっと、外観を見せていただいた

煙突が確認できる

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横から見ると、2階は洋風であることが確認できる

こんな素敵なお家が、いつまでもありますように☆彡

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 今回のルートはこちら☝

朝7時前から夕方5時過ぎごろまでで、回りました

下記ルートをクリックすると、各地の詳しい記事が見れます

繖山(きぬがさやま)観音正寺観音寺城安土城→セミナリヨ史跡公園→沙沙貴神社金勝山・浄厳院

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読んで見て、行ってみたくなった!楽しかった!って、思われた方がいらっしゃったら幸いです

最後まで、お付き合い下さりありがとうございました☆^ヽ(*^-゚)vThank you♪v(゚∇^*)/^☆

織田信長が再興した 金勝山・浄厳院 滋賀県

金勝山・浄厳院(きんしょうざん・じょうごんいん) どんなお寺?

天正6年(1578年)に、織田信長が、佐々木六角氏頼が建てた慈恩寺(天台宗)(領主・佐々木氏菩提寺)の跡地に、近江國・栗太郡にある金勝寺から僧侶を招いて、金勝山・浄厳院(浄土宗)を再興した

慈恩寺は、現在、地名として残されている

本尊の阿弥陀如来坐像は、滋賀県愛知郡(えちぐん)の古寺より譲り受けたもので、平安時代のもので重要文化財となっている

残念ながら、この日は本堂が閉まっていて、阿弥陀如来像は見ることができなかった

また、ここは「信長公記」(しんちょうこうき)に出てくる「安土問答」の舞台でもある

住所: 〒521-1345 滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺744
電話: 0748-46-2242
車を止めたところは住宅街の小さな公園で、少し行けばお寺の入り口があったのに、逆に歩いたので、畑を挟んでお寺の脇を歩き、反対側の入り口に向かう羽目になってしまった

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楼門 重要文化財

慈恩寺(佐々木氏菩提寺)の楼門であったものを、金勝山・浄厳院(浄土宗)を再興の際に、遺されたものである

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本堂 重要文化財

浄厳院として再興の際、興隆寺(こうりゅうじ)(近江八幡市)の弥勒堂(みろくどう)を、本尊の阿弥陀如来坐像(重要文化財 平安時代)は、犬上郡甲良町から、移したと伝えられている

本堂は閉じられていて、本尊の阿弥陀如来坐像は見ることができなかった

「信長公記」(しんちょうこうき)に出てくる「安土問答」は、この本堂を舞台として、信長の命により、浄土宗の僧と法華僧とで行われ、法華僧が敗れた

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浄厳院不動堂 安土町指定文化財

江戸時代中期ごろに建てられたそうだ

秋らしい、うろこ雲☁

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浄厳院・鐘楼 安土町指定文化財

袴腰付の大型鐘楼で、江戸時代中期に建てられたものらしい

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 今回のルートはこちら☝

朝7時前から夕方5時過ぎごろまでで、回りました

下記ルートをクリックすると、各地の詳しい記事が見れます

繖山(きぬがさやま)観音正寺観音寺城安土城→セミナリヨ史跡公園→沙沙貴神社→金勝山・浄厳院

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沙沙貴神社・佐々木大明神 ~全国の佐々木さんが参拝される~ 滋賀県

沙沙貴神社 どんな神社?

宇多源氏・佐佐木源氏・近江源氏のご先祖をお祀りしている

宇多源氏は、源氏二十一流(源氏には祖とする天皇別に21の流派がある)の1つである、宇多天皇から分かれた氏族で、公家華族として庭田家等が、武家として六角氏・京極氏・大原氏・高島氏等が繁栄した

近江源氏は、宇多源氏の内、近江を発祥の地として、武家として繁栄し、代々近江の守護として勢力を持った佐々木氏の一族で、四家に分かれ、六角氏・京極氏・大原氏・高島氏となった

宇多源氏・佐佐木源氏・近江源氏のご先祖様は同じということになる

佐々木源氏は、鎌倉時代初めに活躍した佐々木定綱以来、織田信長によって追われるまでの約四百年間、守護として近江國を支配し続けた

丸亀藩・京極家が再建した大型神社建築となっていて、本殿・中門・透塀・権殿・拝殿・楼門・東回廊・西回廊が県指定文化財となっている

京極氏は、近江上平寺城主→近江大津城主→若狭小浜藩初代藩主→出雲松江藩主→播磨龍野藩主→讃岐丸亀藩初代藩主(1658-1662 )を務めている

住所: 〒521-1351 滋賀県近江八幡市安土町常楽寺2

電話:0748-46-3564

 

沙沙貴神社楼門・県指定文化財

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沙沙貴神社本殿・県指定文化財

沙沙貴(ささき)神社は、神話の頃からご鎮座でご祭神の少彦名神(すくなひこなのかみ)子宝、安産、育児など・大毘古神(おおひこのかみ)旅の安全、交通の安全・仁徳天皇(おおさきのすめらみこと)家庭円満・宇多天皇(うだのすめらみこと)と敦實親王(あつみのみこ)宇多源氏・佐佐木源氏・近江源氏のご先祖様・四座五柱(よんざいつはしら)の神々が祀られている

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“なんじゃもんじゃ”という名前の木(左に少し写ってます これしか写真が無く、すみません(^^;)

何だこの花?というところからでしょうか「なんじゃもんじゃ」とも呼ばれている「ヒトツバタゴ」

成長すると30mにもなるという、モクセイ科の落葉樹

日本では、対馬(父の故郷)と木曽川沿いにしか見られない

ところで、この花びら4枚に見えるけど、1枚の花びらが裂けたもので、これも珍しいし、遠目には、粉雪が積もったようにも、また不思議な樹木と言えるそうだ

花の見ごろは5月中頃の1週間程度

いつか、この時期に対馬に行って「なんじゃもんじゃ」の花を見てみたい☆彡

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沙沙貴神社拝殿・県指定文化財

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願かけ石・勾玉

手前にある小さな左右3個ずつ6個の石を、静かに持ち上げて、さするように書いてある

願い事を込めて、持ち上げてさすった

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沙沙貴神社石灯籠 市指定文化財

鎌倉時代後期 竿に正安二年(1300)の刻文がある

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男岩(おのこいし)と女岩(おみないし)

男性は男石から女石まで、女性は女石から男石まで目を閉じて進み、上手く真っ直ぐに歩み渡れば良縁に恵まれるそうだ%e7%94%b7%e5%a5%b3

乃木希典大将御手植の松

「乃木さんのお言葉」があり、日露戦争を戦った乃木大将のご先祖様もこの沙沙貴神社に祭られてあり、この村の方が、お宮のお祭りを盛大にしてくれることを感謝されている

「吾々人間は、祖先が本であり、その本を忘れてはいけない、本乱れて末治まるものはない

祖先の大恩を忘れてはいけない、祖先をうやまうようにしてほしいと、この爺が言ったと、よく覚えておいてもらいたい」と残されている

鎌倉初期の武士、佐々木四郎高綱の後裔である乃木希典夫妻は、深く沙沙貴神社を崇敬されていたそうだ

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まとめ

なんじゃもんじゃの木や願かけ石や、良縁試しの石など、佐々木さんじゃなくても訪れたくなる神社です

京極氏の再建や乃木代将の言葉から、ご先祖様を崇拝する気持ちがこの神社にしっかりと残されています

佐々木さんじゃない私も、その気持ちを忘れずにいたいです

なんじゃもんじゃの花が咲くころ、父が亡くなる二カ月前に一緒に行った、父の故郷、対馬にいつか訪れてみたいです

 

今回のルートはこちら☝

朝7時前から夕方5時過ぎごろまでで、回りました

下記ルートをクリックすると、各地の詳しい記事が見れます

繖山(きぬがさやま)観音正寺観音寺城安土城セミナリヨ史跡公園沙沙貴神社金勝山・浄厳院

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安土城 100名城51番 滋賀県

100名城 51番 安土城

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安土城 どんなお城?!

安土城は、100名城の1つになっている

織田信長が天下統一を目前にして、その居城として築いた城である

1576年着工、1581年ごろ竣工、その翌年1582年(天正10年)の本能寺の変の直後に、天守閣等、中心部分が焼失したが、二の丸などは無事だったので、3年ほど城として利用されていたが1585年(天正13年)に廃城した

安土山全体が城となっていて、山ろくの平地には城下町が形成されていた

現在、残っているのは、石垣・石段・礎石などと、罹災を免れた 総見寺の三重塔・桜門・金剛二力士像(いづれも重要文化財)である

住所: 〒521-1311 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦

電話番号: 0748-46-4234

駐車場: 入って右手に無料駐車場、左手は市が運営する有料駐車場になっている

 

いよいよ登城!の前にお金払わなくては

<入口石碑>

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ここで入山料と拝観料を支払う

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特別拝観を入れると一人1200円にもなる

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いよいよ登城

お金を払うと、いきなり何段もの階段が待ち受けている

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秀吉邸

登ってすぐに、左手に羽柴秀吉邸、右手に前田利家邸があり、秀吉と利家はお向かい同士だった

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<秀吉邸>それにしても立派な石垣だ

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秀吉邸 立派な邸宅だ

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徳川家康邸 = 特別拝観・ 総見寺本堂

徳川家康邸が現在の総見寺本堂であり、現在、織田信長公像の特別拝観場だ

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総見寺本堂 織田信長公像の特別拝観場 入口

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総見寺本堂 織田信長公像の特別拝観場

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織田信長公像の部屋以外は、撮影可能だった

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残念ながら、織田信長公像は撮影禁止だった

よくテレビに出てくる織田信長公像を、目の当たりにして感動した

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特別拝観には、なんと!お茶が付いていた

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前田利家邸

秀吉→家康→利家と回った

この順番だと階段を上がったり下りたりしなければいけない

利家→秀吉→家康の方が良かったかな?

利家と秀吉はお向かい同士だから、階段を上がったり下りたりしなくて済む

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利家の家も立派そうだ

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利家邸の前から本丸に続く階段

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安土城では階段の所々に、石仏や墓石が使われており、築城の経緯を示すために残されている

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織田信忠邸

信長の嫡男で、本能寺の変で、享年26歳で父と共に亡くなった

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織田信澄邸と森蘭丸邸

織田信澄

信長の弟(織田信勝)の子、つまり甥

明智光秀の娘婿だったため信頼されず、信長の三男・神戸信孝と丹羽長秀に大阪城内で謀殺された

しかし、信澄の長男と、弟、信糺(のぶただ)は、家光の時代まで生きながらえた

森蘭丸

織田信長の小姓(側で雑用や護衛をすること)で、本能寺の変で、織田信長と共に死亡した

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織田信雄(おだのぶかつ)公 四代供養塔

織田信雄(おだのぶかつ)は、織田信長の次男で側室・吉乃(きつの)との間に生まれた

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織田信長公本廟・二の丸

階段を上がると、左手に二の丸の石碑が、右手に織田信長公本廟の石碑がある

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奥に進むと、織田信長公本廟がある

秀吉が、信長を弔うために、太刀や着物などの遺品を埋めて建立したいわれる

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天守閣跡

いよいよ天守閣址だ

 

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天守台

天守は完成してから、わずか3年で本能寺の変の直後、天正10年6月に焼失した

それから長い年月の間、瓦礫と草木に埋もれていた礎石が、昭和15年の調査で発見された

安土城天守は地上6階、地下1階の高層建築だった

現在のこの場所は、地下1階部分になる

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天守台から見た景色

信長は、この景色を見ながら天下統一を確信していたのだろうか

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総見寺本堂跡

総見寺は信長によって、安土城内に創建された本格的寺院で、天守と城下町を結ぶ百々橋口、途中にあるため、城内を訪れる多くの人が、境内を通って信長のところに訪れていた

本能寺の変直後の火災による焼失は、免れたものの江戸時代1854年に伽藍の中枢部を焼失した

その後、特別拝観場でもある徳川家康邸跡に寺地を移し、現在に至っている

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総見寺の三重塔 重要文化財 斜め後ろより撮影

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総見寺・三重塔 重要文化財 正面より撮影

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総見寺・二王門(桜門) ・ 金剛力士像 重要文化財

信長が安土城の築城に着手し、あわせて総見寺を建てる際に甲賀郡から移建したとされる

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安土城 下城

安土山を下山してもなお、虎口などの石垣が多く残されている

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まとめ

数多くの有名武将の邸宅跡を、一度に見れるのは安土城だけではないでしょうか?

まるで、歴史アトラクションかなと思うぐらい豪華な顔ぶれです

まだまだこれからだと思って、築城したはずの安土城…

大きな時代の流れの中で、織田信長の最後の住まいが此処だったと思うだけで、胸が熱くなります

 

今回のルートはこちら☝

朝7時前から夕方5時過ぎごろまでで、回りました

下記ルートをクリックすると、各地の詳しい記事が見れます

繖山(きぬがさやま)観音正寺観音寺城安土城セミナリヨ史跡公園沙沙貴神社金勝山・浄厳院

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観音寺城 100名城52番 滋賀県

100名城 52番 観音寺城

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観音寺城 どんなお城?!

観音寺城は、別名、佐々木城ともいわれ、100名城の1つになっている

佐々木六角氏(鎌倉時代より近江守護として支配)が、居住していた

石垣の本格的な導入は安土城以後のことであるが、この観音寺城では、1530~1550年ごろには、石垣を多用していたらしい

安土山(安土城)とは尾根続きの、標高 432mの繖山(きぬがさやま(観音寺山))に大小無数の郭(くるわ)が残り、全国最大規模の山城と言われ中世五大山城の一つに数えらる

1568年に織田信長に攻撃され、 六角承禎・義治親子は戦うことなく逃亡し、あっ けなく開城、その後、1579年に安土城が 完成したことで、観音寺城は歴史的役割を終えた

住所(観音正寺): 〒521-1331 滋賀県近江八幡市安土町石寺2

電話番号(観音正寺): 0748-46-2549

観音正寺の詳しい情報・駐車場などの情報

↓ ↓ ↓

観音正寺 西国第32番




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観音寺城の昔の地図(縄張り図)を見て歩こう!!

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滋賀県教育委員会 埋蔵文化財活用ブックレット11 (近江の城郭6)より 私の落書きあり

 

いよいよ観音寺城へ登城

観音正寺でお参りをして、いよいよ縄張り図を確認しながら歩いてみる

観音正寺の釈迦如来坐像の後ろからスタートする

<正面>

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<後ろに観音寺城に向かう階段がある>

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観音正寺から本丸へ

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大石段を上る、おかわり君(長男)

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観音正寺から310m 思ったより直ぐに到着した

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本丸の他にも、いたるところに沢山の石垣が残されている

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平井丸

平井定武の娘は、浅井長政の正室であったが離別された

その後、浅井長政は織田信長の妹、お市を後妻として迎え入れた

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落合丸

落合氏屋敷跡だけ、なぜか縄張り図に載っていない

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池田丸

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女郎岩と大石垣

女郎岩は身長の倍以上ぐらいある、大きな岩だった

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大石垣は景色も最高だった

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佐々木城址 石碑

再び観音正寺を出て、立て札の通り上がった

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石碑から見る景色も最高だった!!

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六角定頼像 NEWスポット 発見☆

観音寺城から車で5分ぐらいのところにある安土城に向かう途中、六角定頼の像を発見!車をUターンさせて確認した!!

ただ、トンネル入り口にあるので、長ーいトンネルを通り切ってからのUターンになり、Uターンに苦労した

トンネル入り口付近にあるので、トンネルが近づきだしたら、左側にそれらしきものが無いか見逃さないように

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六角定頼とは、六角家14代目当主で、観音寺城城主、六角家の最盛期を築いた

六角定頼像

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まとめ

石垣がいたるところにあり、郭もたくさんあって、景色も良いので、お城好きな方はもちろん!山登り好き、お寺好き、探検好きの方も楽しめます

今回は、縄張り図の左側だけ回りました、7時前について12時過ぎぐらいに安土城に向かったので、半分で半日かかりました

縄張り図全てを回るには、朝一番から一日かかると思います

なるべく早くお出かけして満喫しましょう♪

結構、足元が悪いところが多く危険なところもあるので、登城する際は歩きやすく滑りにくい靴を履いて、荷物は手荷物タイプよりリュックでお出かけ下さい

 

今回のルートはこちら☝

朝7時前から夕方5時過ぎごろまでで、回りました

下記ルートをクリックすると、各地の詳しい記事が見れます

繖山(きぬがさやま)観音正寺観音寺城安土城セミナリヨ史跡公園沙沙貴神社金勝山・浄厳院

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観音正寺境内、観音正寺の詳しい情報・駐車場などの情報

↓ ↓ ↓ 併せて御覧下さい

観音正寺 西国第32番

観音正寺 西国第32番

繖山(きぬがさざん)=観音寺山 観音正寺

観音正寺 どんなお寺?!

西暦605年に聖徳太子が開基(創立)した

宗派は天台宗・ご本尊は千手千眼観世音菩薩(特別拝観で見ることができる)

標高432.9メートルの繖山(きぬがさざん)、別名観音寺山の山中にたたずんでいる

住所: 〒521-1331 滋賀県近江八幡市安土町石寺2

電話番号: 0748-46-2549

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駐車場

駐車場は道路に門があって、500mぐらい(測ってないので定かではない)先にあり、お寺のそばまで行ける

その門に入る前のところにも駐車場があって、開門前に観音正寺や観音寺城に入山したい場合は、門の前の駐車場に止めて歩くしかないが、駐車料金の500円は払わなくて済み、ダイエットのため、健康のために歩いてみるのも良いかもしれない

有料駐車場… 駐車料金500円 午前8時~午後4時30分

無料駐車場… 無料 何時でもOK (ただし、お寺まで歩かなければならない)

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いよいよ入山

入山料金… 500円

特別拝観料… 500円

7時前に到着したので門の横から、しばらく道路を歩いて入山した

観音正寺の受け付けも8時からになっていて、お寺の人は、トイレの清掃をされていた

入山しても良いか聞くと、「どうぞ」と行ってくださり、入山料金一人500円の支払いは帰りにすることになった

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数メートル歩くと門跡?なんだろう?があった

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ねずみ岩…私にはゴリラに見える…すみません^^;

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韓信の股くぐり つい立

韓信は、紀元前231年頃~紀元前196年頃の中国の武将

韓信は、年下の不良から、「勇気があるなら俺を斬ってみろ。臆病もんだから俺を斬れないだろう。斬れないなら、俺の股の下をくぐれ」と、いちゃもん(いんねん)をつけられ、志の高い韓信は、少年の股の下をくぐり、屈辱を受けた

しかしその後、項羽の家来となったが重用されず、更にその後、劉邦に重用されて元帥となって、漢の統一で大活躍をして大成した

屈辱を受けたことがバネとなり、大成したのだろう

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釈迦如来坐像

江戸時代に安置されたものは、第二次世界大戦で供出されたため、昭和58年に再建された

平和の願いが込められた写経が、胎内に納められている

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北向地蔵(一願地蔵)

内部に記されている七遍の真言を唱えると、苦しみから救ってくれる

願い事は、一つ限りにしなければならない

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本堂

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本堂の写真の右横の石

お寺周辺の整地の際に出土した石を並べて作られたもので、縁結び地蔵尊がある

写真中央のお堂らしきものが、縁結び地蔵尊

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本堂前からの景色

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特別拝観

特別拝観料… 500円

本堂の中にある、ご本尊の千手千眼観世音菩薩坐像が拝観できる

残念ながら撮影禁止だった

手首に橙色の紐を結んでもらって(紐を結ぶことによって自分とご本尊様が通じ合えるとの事)、カラフルな色々な和紙の中から1枚好きな色を選んで(私はピンクを選んだ)、奥に入りご本尊様と対面して、お見拭いさせてもらった

お見拭いした和紙は、お香の良い香りがする

お守りになるそうなので、カバンに入れて持ち歩いている

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今回のルートはこちら☝

朝7時前から夕方5時過ぎごろまでで、回りました

下記ルートをクリックすると、各地の詳しい記事が見れます

繖山(きぬがさやま)観音正寺観音寺城安土城セミナリヨ史跡公園沙沙貴神社金勝山・浄厳院

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読んで見て、行ってみたくなった!楽しかった!って、思われた方がいらっしゃったら幸いです

最後まで、お付き合い下さりありがとうございました☆^ヽ(*^-゚)vThank you♪v(゚∇^*)/^☆

玉手山公園 後藤又兵衛 大坂夏の陣

10月1日土曜日 くもり時々晴れ時々雨

 

住所:大阪府柏原市 玉手町7ー11

玉手山公園へ行く道は、住宅街を通るので迷われる人も多いと思うので、このページの最後に車での道案内を載せている

駐車場は無料で、南駐車場と東駐車場がある

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公園内には、いくつか案内板があるので、迷わず石碑などの目的地にたどり着ける

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後藤又兵衛は、幼い時に父を亡くし、黒田官兵衛に引取られ、黒田長政と一緒に育てられた

関ヶ原の戦いでは、黒田の家来として石田三成の家臣、槍の名手の大橋掃部(おおはしかもん)を一騎討ちで破るなどの武功を挙げ、戦後大隈城(益富城)16,000石の所領を与えられたが、黒田長政とそりが合わず黒田家を出奔した

出奔したのち、士官を求めたがどの士官先にも、黒田長政が後藤又兵衛を雇わないように声をかけていたため、後藤又兵衛はどの士官にもつけず、大変貧乏な浪人侍だった

真田幸村と同じように、大坂の陣で豊臣方から声がかかり、豊臣軍として徳川方につく黒田長政とは敵同士となった

 

大坂夏の陣古戦場 小松山の戦いで 徳川方と玉手山付近で激突

重傷を負った後藤又兵衛は、吉村武右衛門の介錯(かいしゃく)によって自害した

 

<後藤又兵衛の碑>

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<吉村武右衛門の碑>

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又兵衛しだれ桜

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徳川・豊臣 両軍の戦死者供養塔

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玉手山7号墳

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4世紀ごろの豪族の墓 石棺

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一茶の句碑が公園内にいくつかある

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後藤又兵衛 秀吉 一茶など 顔出しパネルがある

こんなに沢山の顔出しパネル 見たことが無い(;゜0゜)

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明治41年(1908年)から平成10年(1998年)5月まで、なんと90年間も、遊園地だったところで、「民営の玉手山遊園地」から現在は「市立玉手山公園」になっている

遊園地の跡があちらこちらに残されている

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兜や昆虫、おもちゃが無料で展示されている

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車での道順

1.府道12号線を奈良方面へ片山の交差点を右に曲がる

スーパー「デイリーカナート」が右手に見える

<曲がったら見える景色> 行きの景色

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2.少し行くと突き当たる 右に曲がる(帰りの写真なので反対だ)

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3.左手の青い屋根の「酒屋まつだ」を左に曲がる(帰りの写真なので反対だ)

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4.しばらくすると「大阪市立長谷川小学校」を通り過ぎる そのまままっすぐ道なりに(帰りの写真なので反対だ)

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5.道なりに左曲り かなり狭い (帰りの写真なので反対だ)

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6.上の写真すぐのT字路を左に曲がる 狭くてクネクネの道だ (帰りの写真なので反対だ)

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7.そのまま、狭くてクネクネした道を行くと、左手に南駐車場がある 到着!!

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読んで見て、行ってみたくなった!楽しかった!って、思われた方がいらっしゃったら幸いです

最後まで、お付き合い下さりありがとうございました☆^ヽ(*^-゚)vThank you♪v(゚∇^*)/^☆